X民「勉強は努力。どんな奴でも勉強すれば旧帝ぐらいは行ける」
この一言にエッヂ民が反応。努力すれば誰でも旧帝大に行けるのか、それとも環境や才能が大きく左右するのか——教育格差をめぐる大激論が勃発しました。
反発派と賛成派が激しくぶつかり、MARCH・旧帝レベルの具体的な議論に発展。
「努力できる才能」自体が不平等という核心的な指摘まで飛び出し、シンプルな問題では済まない複雑さが浮き彫りになります。
🎯 PART 1:元ネタ、X投稿が話題に
🎯 PART 2:反発派「環境と才能がすべて」
勉強に入れる環境がガチャやん
※環境格差の問題を真っ先に突くエッヂ民。塾費用や家庭環境、努力したくても環境が許さないケースは山ほどある。
もしそうなら家庭教師やってみてほしい。どんなに熱心に付き合ってもうまくいかない子がいるから
どんな奴でも勉強したらその勉強した奴らが底辺になるだけじゃないの
🎯 PART 3:賛成派「努力すれば行ける」
行けるとは思うよ。実際Fラン卒の教師が教えられるレベルの話やん、受験勉強ってのは
※受験勉強の難度は「Fラン卒でも教えられるレベル」という指摘。極度に高い素質は要らないという主張です。
どんな奴でも勉強すれば東大ぐらいは行ける
旧帝もピンキリやしな
🎯 PART 4:白熱、具体的な議論へ
全員が今の試験に合格できるぐらいの学力得たらそれに合わせて合格基準だって上がるんだしガチれば余裕は嘘なんよ
※相対評価の根本的な問題を指摘。全員が努力したら基準が上がるから、結局は相対的な成功不成功は変わらないという鋭い視点。
大九大あたりはガチれば余裕やろな 東大なら上位25%は欲しいけど
🎯 PART 5:核心、「努力できる才能」が不平等
努力できる才能あるやつが俺には努力の才能ないから~でサボる口実になっちゃうからやろな 努力できる才能がないやつをサボってる扱いして叩けば努力の才能あるやつがサボりづらくなる
※このスレの核心を突く一言。「努力できる才能」自体が不平等に分配されているのに、それを無視して「努力しない奴が悪い」と断定する構造を見事に言い当てている。
誰でもできるつまり競争率が高いからこそ俺はその中を勝ち抜いたプレミアだっていうのを誇示したいんじゃないのん
🎯 PART 6:オチ、ネタ化して笑いに落とし込む
ワイ「ほーいwwww」(IQを70にする)
※最高のオチ。いくら環境を整えても本人のリソースが限界なら努力も追いつかない、という現実を茶化して笑いに変える一言。
📝 まとめ:努力論の落とし穴
🥇 「勉強すれば誰でも旧帝大に行ける」という主張は、一面では正しい。しかし環境・才能・努力できる才能など、個人ではコントロール不可能な要因が山ほど存在する。
🥈 努力を強調する人の多くは、自分が恵まれていたこと、あるいは努力できる才能を持っていたことに気づいていないのかもしれない。
🥉 人生は思ったより複雑で、シンプルな「努力の一言」では片付けられないのが現実。
あなたはどっち派ですか?「努力は万能」派?それとも「環境と才能がモノを言う」派?📚
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