かつて薩摩藩で約300年間にわたり信仰が禁止されていた浄土真宗。2026年は、明治9年(1876年)の解禁からちょうど150年の節目の年です。鹿児島市の本願寺鹿児島別院では、禁止時代の資料や隠れて信仰を続けた人々の歩みを伝えるパネル展・法宝物展が開催されました(出典:Yahoo!ニュース(KYT鹿児島読売テレビ))。
展示では、島津家の分家・花岡島津家に嫁いだ女性が密かに所持していたと伝わる御本尊も公開。武家社会のトップである島津家の中にすら、こっそり浄土真宗を信仰していた人がいたことを示す貴重な資料だといいます。10月の法要には島津家当主が初めて参加する予定とのことです。
このニュースに5chが食いついたのは「そもそもなぜ禁止されていたのか」という素朴な疑問から。歴史に詳しい住民たちが次々と背景を解説し、ちょっとした歴史講座のような盛り上がりを見せました。
300年の禁教と隠れ信仰の歴史、そして薩摩藩ならではの事情について、5chの反応とあわせてまとめました。
PART1:そもそもなぜ薩摩藩で禁止されていたのか?
一向一揆を藩主の島津家が恐れたため
本願寺の教えは島津のガチガチな身分制度の否定につながり
島津の殿様が搾り取るはずの稼ぎも本願寺に献金しかねないから
秀吉が石山本願寺潰して大阪城建てたのが1583年
それに比べて随分と遅いが反乱か御家騒動の陰謀でもあったのか
※「一向一揆」は戦国大名たちが恐れた武装宗教勢力。信仰による団結が身分制度を揺るがしかねないという為政者側の警戒感が、300年もの長期禁教につながったようだ
PART2:皮肉にも「廃仏毀釈」から仏教を再生させたのは浄土真宗
島津家の菩提寺すら破壊された
そこへ西南戦争後、本願寺が鹿児島県に大布教団送り込んだため鹿児島県民は浄土真宗だらけになった
島津家も明治維新で神道に宗旨変え
なので都内寺院の島津分家の墓地なんか荒れ放題よ
※禁教が解けた直後、今度は明治政府主導の廃仏毀釈で仏教全体が薩摩から一掃されるという二重の受難。そこへ本願寺が送り込んだ布教団によって、鹿児島は逆に浄土真宗の一大拠点になったという歴史の皮肉
PART3:「他力本願」の教えのわかりやすさに納得の声
きんきら金が好きなやつ?
浄土真宗はカネ払わなくていいのよ
信者は死んだらみんな即仏になるから
庶民はスタート地点にも立てず、武士も人を殺すのが生業だから論外だった
※葬式や供養にお金がかからず、信心だけで誰でも救われるという間口の広さが庶民に支持された最大の理由らしい。禁じられてもなお300年生き延びた宗教の「強さ」がここにある
PART4:「隠れ念仏」という信仰の執念に感心
隠れ念仏か
※隠れキリシタンならぬ「隠れ念仏」。禁止されてもなお武士の間でもひそかに信仰が続いたというエピソードは、今回の展示の目玉でもある
PART5:「一向宗=うちの実家だった」自分事化する+民
一向宗ってとんでもねえ宗教だなと思ってたらウチの浄土真宗のことだったわw
現代と何が違う
※ゲームや歴史漫画で「一向宗」を反乱勢力として知った世代にとって、それが自分の実家の宗派だったと気づく瞬間はちょっとした衝撃らしい
まとめると、薩摩藩で約300年間禁止されていた浄土真宗は、一向一揆による身分制度の揺らぎを恐れた島津家の統治戦略によって弾圧され続けてきました。解禁後もすぐに明治の廃仏毀釈で仏教全体が破壊されるという波乱を経て、皮肉にも浄土真宗の布教団によって鹿児島の仏教が再生されたという歴史が浮かび上がります。
5chでも「なぜ禁止されたのか」「なぜここまで庶民に支持されたのか」という素朴な疑問から本格的な歴史解説まで飛び出し、ちょっとした歴史教室のような盛り上がりに。300年の禁教と隠れ信仰の歴史は、10月の法要で島津家当主が初参列することでまた新たな1ページを刻むことになりそうです。
あなたの実家の宗派にも、こんな知られざる歴史が眠っているかもしれません。
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引用元:https://asahi.5ch.io/test/read.cgi/newsplus/1789224934/ / 元ニュース:Yahoo!ニュース


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