浄土真宗の信仰が薩摩で解禁されてから2026年で150年。この節目に、本願寺派第25代・大谷光淳門主が、薩摩藩主・島津家の別邸跡「仙巌園」を訪れ、島津家第33代・島津忠裕当主との面会が実現した。
実はこの両者の面会は今回が初めてではなく、解禁から21年後の1897年(129年前)にも、同じ仙巌園で本願寺の新門と島津家当主が面会した記録が残っているという。かつて薩摩藩では約300年にわたり浄土真宗の信仰が禁じられ、迫害された歴史がある。
「私たちの中でもう少しきちんと受け止められていたら、このような形ももう少し早かったかもしれない」と、さつま開教150年記念法要実行委員会の井上従昭委員長は振り返る。
(南日本放送)
ニュー速+では、この歴史ネタをきっかけに「自分の家はどの宗派か」という身の上話や、日本仏教の宗派トリビアが止まらない展開となった。
■ PART1:なぜ薩摩は浄土真宗を300年も禁止したのか
84:一向宗が入ると、本山である本願寺など藩の外の勢力が藩の中に影響力を持ちかねない。薩摩藩は方言も意図的に特徴的にして外部と壁を作ったと言われるくらいで、藩の外からの干渉を撥ねつける努力をしていただけかと。
82:隠れ浄土真宗の信徒が多くて、明治維新末期は薩摩のほとんどが浄土真宗の信者になっていたらしい。薩摩が明治維新の原動力になったのは、そういった背景もあったと思う。
※単なる宗教弾圧というより、藩外の本願寺という組織に領民が結びつくことを恐れた統治上の理由があったという分析が興味深い。隠れて信仰を続けた人々が、結果的に維新の原動力になっていたという見方も。
■ PART2:「よくわかる鎌倉仏教」――ニュー速+民の名物まとめが降臨
110:【よくわかる鎌倉仏教】
「座って色々考えようぜ」→臨済宗
「なんかもう座るだけで良くね?」→曹洞宗
「題目を唱えとけば救われるんじゃね?」→日蓮宗
「念仏を唱えとけば救われるんじゃね?」→浄土宗
「俺らもう救われてるんじゃね?」→浄土真宗
「それより僕と踊りませんか」→時宗
※歴史の教科書よりも頭に残るかもしれない名物コピペ。浄土宗と浄土真宗の違いを一言で表現した「俺らもう救われてるんじゃね?」のセンスにスレ民も唸った。
■ PART3:「うちは何派?」で盛り上がる身の上トーク
39:うちは浄土真宗智山派
27:うちは西本願寺父方と東本願寺大谷派母方の二刀流
44:父は何となくで決めた日蓮宗 祖父は違っていたらしい 伯母は天理教 母方は真言宗だった模様――父の葬式には浄土真宗の僧侶が来て、納骨したのは浄土宗の寺。自分はもはやどこの宗派か分からない。
※「うちは○○派」の報告が次々と集まり、スレが小さな宗派アンケートのようになっていった。核家族化・結婚などで両親の宗派が違う家も多いようで、日本人の宗教観の緩さが垣間見える。
■ PART4:島津家への複雑な視線、「風化しない歴史」の難しさ
59:廃仏毀釈だろ? 浄土真宗だけじゃなくて薩摩藩の寺はほとんどが壊されて歴史的に重要な仏像や書物も燃やされたんだっけ?
54:なんで本願寺側がわざわざ出向くの? 迫害してきたのは島津の方だという歴史的経緯を踏まえると、そっちが門主に詫びを入れに向かうべきだろ
※300年の弾圧の歴史を踏まえると、今回わざわざ本願寺側が出向いた構図に違和感を覚える声も。歴史の節目を祝うイベントの裏にある複雑な感情が見え隠れする。
■ PART5:葬式を前に、自分の宗派を考え直す人も
47:自分の葬式をどうやってもらうか考えとかないとな、と思う
20:おれんちは神棚はあったけど、仏教的なものはなかったなぁ 毎日朝晩神棚に祈ってたよ
※129年前の面会との比較から始まった議論が、気づけば「自分の宗派」や「自分の葬式」という身近な話に落ち着いていくのも、ニュー速+らしい流れ。
まとめ:300年の弾圧の歴史を経て解禁から150年、本願寺と島津家が129年ぶりに同じ場所で面会した。ニュー速+では歴史の重みを踏まえた議論から「よくわかる鎌倉仏教」の名物コピペ、果ては「うちは何派?」という身の上話まで幅広く展開した。あなたの実家は何派か、今度聞いてみてはどうだろうか。

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