スレ立て人の悩みは明確だ。「ワイ何やっても無」——つまり、何をしても虚しい。(´・ω・`)
本当に求めているのは「何者かになること」。能力を認められ、他人と異なる存在になりたいということだ。
実は、この悩みは令和世代全体が抱えているのかもしれない。昭和は「友達がいること」、平成は「自分が変わること」、そして令和は「何者かになること」。世代ごとに欲求は移り変わる。
だが議論が進むにつれ、思わぬところから光が見えてくる。(゚∀゚)
PART 1:そもそも「何者か」って何?
所詮名無し側なんよね
昭和の若者「友達たくさん欲しい」平成の若者「自分は変わりたい」令和の若者「自分は何者かになりたい」
※時代が進むにつれて、若者の欲求が「個の存在価値」をより強く求める方向へシフトしている。
PART 2:実際にどうやってなるのか
今から10年死ぬ気でアーチェリーとかマイナー競技やればオリンピック代表とかにはなれるんちゃう。それを何者かと判定するかどうかは知らんけど
ゲーム作ろうとして丸3年超えたけどいつできるか不安やわ。ちょくちょく作業はすすめとる
※「何者かになる」への最短距離は、得意な分野を磨き続けることなんだろう。
PART 3:でも失敗する理由が見えた
能力や自己肯定感が低いくせにプライドだけが普通の人より高いのよな
本気でやればなんでもうまくいくって認識がずれてるやろ。全部本気でやって自分に合うもん探すんやろが
※ここに大事な気付きがある。「何者かになる」には、相応の自己分析と試行錯誤が必要。『本気さえあれば』という単純さは持たない。
PART 4:光が見えた瞬間
中学の頃から不登校繰り返して未だ就職も出来てないけど、同じゲーム繰り返してたら上手くなって友達出来たし多少界隈では名の知れた存在になったわ。まあだからこそ社会的な何者かは余計無理やなとも思うんやが
※これだ。83番のコメントが一つの答えを持っている。不登校という時期を経て、ゲームという「自分が続けられるもの」を見つけ、気がついたら何者かになっていた。社会的な肩書きじゃなく『界隈での認知』がアイデンティティになった一例。
PART 5:『一番』じゃなくていいんだ
一番でなくてもそれが自分のアイデンティティになるだろ。劣等感こじらせすぎ
ぶっちゃけこの手のやつの最後の砦は何か自分の努力に依らないものに帰属したり大物に取り入ることでマウントをとることにつながるで
まとめ:『何者か』はいつの間にか見つかる
「何者かになりたい」という悩みは、令和世代の共通テーマかもしれない。でも大事なのは、『一番』じゃなくても、自分が続けられることを磨き続けることが、いつの間にかアイデンティティになるということだ。
社会的な成功や認可を待つんじゃなく、小さな界隈でも、オタク趣味でも、ゲーム作成でも、何か「続けられる何か」が見つかったら、そこから何者かになる道は自然と開ける。83番のように。
焦る必要はない。でも続けることは大事だ。あなたなら、何を続けられそうですか?
※本記事はエッヂ掲示板のコメントを引用・整理したものです。元スレはこちら


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